2018夏_vol45
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―料理のお話が出ましたが、裕三さんは絶対音感ならぬ絶対味覚をお持ちだそうですね。いや、相対味覚かな。料理は味の記憶って言って、美味しい味を知らない人が美味しい料理を作れるわけないし、いい音楽を知らない人がいい音楽を作れるわけがない。いかにいいものをインプットしてるかだけなんだよね。味を覚えることって自分では普通だと思ってたんだけど、モト冬樹に至っては何にも覚えてないんだよ。毛と一緒に全部抜け落ちちゃってるんだよね。―裕三さんはとても器用な方ですね。他人と器用比べをしたことがないからわからないけど、僕のやり方は全部反則だから何でも完成に至るまでの工程が他人とまるで違う。この味はめんつゆでできるよね、とか甘みを足すのに砂糖じゃつまらないからマーマレード入れようとか。暗算が得意な人で頭の中にそろばんが入ってるっていう人がしている質問です。今、どんな旅路にいらっしゃいますか?僕は仕事で実際に旅しちゃってるから、日本を何周したかわからないなぁ。ビジーフォーと『ハッチポッチステーション』で3000ステージくらいやっていて、その内の2000本以上は地方での公演。だから少なくとも日本の2000箇所くらいは行ってることになる。今もショーで各地に行く時は、地元の居酒屋に出かけるのが楽しみで、ステージで「オンリーユー」って歌いながら、いつも何食おうか考えてるよ。●裕三流“一流の哲学”とは いるけど、僕は頭の中の鍋で作るわけ。慣れてくると材料とか分量が即答できるようになってきて、さらに研ぎ澄まされると、中火で8分、とか頭の中にカセットコンロが入って来る。それは“学習と応用”なんだよ。僕は、料理学校に行ったり修行をしたりしない代わりに、そういう暗算ができるようになったんだと思う。あとはタレントとしてどういう付加価値を付けられるかっていうのが、僕たちの一番大切なところじゃないかな。ちょっといいこと言っちゃった。イメージダウンだからここはカットね。―お笑いの要素も含みながら、繰り広げるショーや料理はプロフェッショナル。そこが裕三さんの魅力ですよね。嬉しいねぇ。突き詰めると、それは江戸の粋なんですよ。ガツガツせずに、何でもさりげなくやる。(とんねるずの)石橋貴明が後輩なんだけど、「裕三さんは俺にとって“東京”なんですよね」って。親友の三宅裕司も江戸っ子でしょ?どこかに江戸の粋とか、そういうのが体に入っているんだと思うよ。―ご自身が人生で最も影響を受けたのはどんな方ですか?感謝してるってことで言うと、僕らをアマチュアからプロに引っ張ってくれた人、スカウトしてくれた人、番組に提案してくれた人やプロデューサーだね。僕たちの仕事って特別だから、ある程度のセンスと場数が必要。場数って誰かに気に入ってもらわなかったら踏めないんだよ。そして、ある程度のセンスをそういうプロの人に見つけてもらわないといけない。一流と二流の差ってわかる?二流は本番よりリハがいいの。リハがうまくできても本番で力んじゃう。一流は逆なの。本番で化けるんだよ。世の中、やっぱり“学習と応用”がすべてなんだよね。―日本全国を飛び回っている裕三さんですが、忘れられない場所や旅はありますか?テレビに出始めた時、地方の仕事が一気に増えて当時は嬉しかったなぁ。最初は北海道に憧れたんだけど、食文化の歴史がある東北が好きになって、食べ物が美味しい九州も大好きになった。博多でずっとレギュラーをやってたんだけど、今でも10軒くらいは一生通うなって思うくらいレベルが高い。お店は基本的に居酒屋。心意気のない店は最初のお通しでわかっちゃう。高くないとダメみたいな考え方は愚の骨頂だと思っていて、僕の中のトップ10は高級店の方が少ない。名店と言われる店はコスパもいいよね。―裕三さんおすすめのお店に行ってみたいです!最後に、毎回ゲストの方にグッチ裕三 (ぐっち・ゆうぞお)1952年2月27日、東京都生まれ。1978年に「ビジーフォー」を結成し、ものまねブームの立役者に。NTV『THE夜もヒッパレ』では13年間レギュラーを務め、1992年からソロとして「グッチ裕三とグッチーズ」を結成、本格的にコンサート活動を開始。1995年からNHK教育『ハッチポッチステーション』に出演。世界50ヶ国で放送され、2003年に「第11回スポニチ文化芸術大賞・優秀賞」を受賞。また、1998年には料理界にも進出。2010年にNTV『THE 料理王』で芸能人の初代料理王となり、発売した料理本は合わせて500万部を突破。全世代対応型タレントとしてCM、雑誌、ラジオ、テレビ、ライブステージ等で精力的に活動中。11

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