2018夏_vol45
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の日、ピアノ練習曲の定番であるバイエルの66番を久し振りに生演奏で聴いた。時折、音を外しながらも正確なリズムで一音一音を愛おしむように、皺の刻まれた指が音を奏でる。高齢化が進む日本。内閣府の高齢社会白書によると65歳以上の高齢者人口は、3459万人。総人口に占める割合を示す高齢化率も27.3%に上り、今後も上昇傾向は加速するという。「老後」というと、年齢に合った体に負担のない余暇を、気の合った友人とのんびりと過ごすというイメージであったが、少なくとも私の周囲では初めて、その常識を覆す齢82歳の女性がいる。 「貴方が男の子だったら借金してでも大学に行かせた」と、泣く泣く進学を諦め就職した以降、その鬱憤を晴らすかのように「やりたいこと」はどんな環境でも貫いてきた人生。両親と義姉が暮らす家ですべてを切り盛りした。もちろん、その後の介護まで一人でやりきったという。そんな中でも高校生の時から続けてきた書道は、姑らの寝静まる部屋のふすま一枚隔てた机で時間を惜しんで筆を執り、現在書道家、習字の指導者として教室を開くに至った。歴史を題材にした書道という文字の世界を通じ、短歌も親しむようになり、今では自作の短歌をかな文字で描いては出品するなど、一度始めたらとことん向き合い極めようと実に精力的だ。そして息子夫婦が新築したことに伴い同居、住まいを移してからも書道、短歌に留まらず、夫の介護のために自分が健康でいなければ、との思いで70歳からヨガを始めた。現在でも背筋と足がピンと伸びた実に凛とした出で立ちを保っている。元々文化芸術は好きな分野だったという。生け花の師範資格も取得、若かりし頃は仕事の合間を縫って貸ピアノに通い、好きな音楽に没頭した。そして82歳、60年ぶりにピアノの鍵盤に指を乗せた。レッスンにも通い、若い生徒に交じって発表会を控えるその練習にも熱が入る。時間とお金ではない。自分の感性と価値観に忠実であること、体力、気力、無邪気な好奇心があること…そんな彼女の生き様が、力強い皺となってその手に刻まれている。文:晴日夜更けのRecollectionシワわせの音色コラム18        そ29歳で結婚すると、嫁として夫の20旅びとよ

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