2018冬_vol47
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々、いわゆるイケメンというカテゴリーに興味はないと自負している。しかしながらビジュアルや見た目は、往々にして大事なファクターであることも理解している。そして、人はビジュアルだけよければいいというわけでもないとも思っている人間である。美しさの定義も、結局は人それぞれの好みやアイデンティを反映しているに過ぎないのだと、持論を差し置くほどにビジュアルの持つチカラを感じずにはいられなかった人物を目の当たりにした。身長184㎝の長身ひとつとっても、圧倒的な存在感を放つものだが、全体として「ただ大きい」というだけに留まってしまう場合もある。しかし、身長の高さを感じないほど頭から足先までのシルエットの美しさ、バランスの取れたスタイルに、つい見とれてしまうという事態に、そんな自身が陥ったのである。これだけの体を有していれば、これは大いに自信になるだろうし、事実、その受け答えの淀みない言葉も目の輝きもスマートな笑顔にも、どこをとっても余裕がみなぎり、それらがさらに彼の魅力となっている。オーラとは、こういうムードと雰囲気のことを言うのだとわかる。「やられた…」のキモチである。代を経て、30代後半に差し掛かった今、山田耕筰役で主演の一人を務めた映画『この道』は、意外にも身の丈に合う役なのだという。「身の丈」 は「身長」のことだが、もちろん、己の身長に合った生活をせよ、ということではない。(当たり前だ)「身の丈」とは、能力、器量、経済力等々の比喩であるから「分相応」そして「戒め」とも取れる。今を時めくパフォーマンスグループの華やかなステージで華麗に踊る姿からすると、映画自体や役柄、時代背景も華やかで躍動的なモードではない。これを「戒め」という表現で読み解くならば、目の前の華やかさに己を見失うことなく、日本の音楽、日本の同様の礎を築き、北原白秋とともにけん引した一途な山田耕筰のように、自身の目指すパフォーマーとしての『この道』を貫くのだというストイックな覚悟の表れかと、その美しいシルエットをいつまでも眺めるのである。文:晴日夜更けのRecollectionコラム2020代のがむしゃらに踊り続けた時     元20美しい人旅びとよ

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