Vol.51
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―本日はよろしくお願いします!まずは名波さんの現在のご活動内容について伺えますでしょうか。今は静岡を拠点として、サッカーの解説をやったり、イベント出演やクリニック、講演を行ったりしています。―今お話にあったように、精力的にクリニック(サッカー教室)に参加されていますが、後進育成や子ども達への指導についてはどのようにお考えですか?日本の宝、原石である子ども達をステップアップさせること、そして野球でもラグビーでもなくサッカーというスポーツを伝えていくことは、ずっとやってきた自分ができる(サッカー界への)恩返しだと思っています。そのためにトップのカテゴリーで監督をやることを思い描きながら今までやってきましたし、今後もそれは変わらないと思いますね。―名波さんは常にコミュニケーションを大切にされている印象がありますが、最も意識されていることは何ですか?名前を呼ぶことですね。「おいお前、そのミスはだめだよ」と言われるより、「〇〇、ちゃんとパス出せよ」って名前で言われた方が嬉しいじゃないですか。クリニックをやっても「おい」とか「お前」で呼ばれた時の子ども達の反応と、自分がいつも呼ばれている名前で呼ばれた時の反応は全く違うんですよ。人との接し方という意味では、僕は男4人兄弟の末っ子で生まれて、長男次男がスーパーワルだったので、家庭内で善し悪しの分別を小さい時から見て聞いて育ったことが(自分の今の指導スタイルに)影響しているのかもしれませんね。―サッカー選手、監督としてさまざまな経験をされてきた名波さんにとって、人生の転機はいつだったのでしょう?一番は中学3年から高校1年にかけてかったらここで話していることもないし、サッカーでプロ選手になっていないでしょう。(静岡県の)藤枝というサッカーどころで生まれて、藤枝のエリートの子は当たり前のように藤枝東高校という、中山(雅史)さんとか長谷部(誠)とかの母校に行く中、僕はあえて清水(商業高校)に飛び込んだんです。あれがすべてでしたね。98年のW杯に繋がったのも、高校3年間の自分とチームがやってきたものが活かされましたし、実際自分の母校から4人(代表に)選ばれていい環境にあったと思います。本大会(W杯)に出たのも嬉しかったですけど、プロの中でのターニングポイントといったらアジア予選を突破した時(ジョホールバルの歓喜)だったと思いますね。―それでは、今までかけられた中で最も印象に残っている言葉は?最近でいうとジュビロ磐田の監督を辞めた際、J2からJ1に昇格した時の倍くらいの連絡がいろんな人から来たんです。その中で、元日本代表監督の岡田(武史)さんが電話をくれて「常にファイティングポーズを取っておけよ」って。それが一番ズキュンと来ましたね。―先ほどもゴン(中山雅史)さんのお名 ●サッカーへの情熱●ゴン中山との絆の “越境”じゃないですかね。それがな今回はかつて“天才レフティ”と称され、10番を背負った元日本代表の名波浩さんにインタビュー。現役時代のエピソードからプライベートまで、さまざまなお話を伺いました。ここが定年と線を引くまでは    現場に立っていたいサッカー解説者vol.17名波 浩

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